ヒンデンブルグ号とは

●巨大飛行船ヒンデンブルグとは●

タイタニック号沈没事故(1912)、スペースシャトル・チャレンジャー号爆発事故(1986)と並び20世紀の世界を揺るがせた、ドイツの飛行船ヒンデンブルグ号の爆発炎上事故。歴史的大惨事を引き起こしたヒンデンブルグ号とは、どんな飛行船だったのか。

ドイツのフェルディナント・フォン・ツェッペリン伯爵(1838-1917)は金属の枠組を持つ最初の硬式飛行船LZ1を1900年に完成させ、のちにツェッペリン飛行船会社を設立、飛行船による旅客輸送のパイオニアとなった。第一次世界大戦中は大量の軍用飛行船が造られた。 1929年、伯爵の後継者フーゴ・エッケナー(1868-1954)は豪華旅客飛行船LZ127グラフ・ツェッペリン(ツェッペリン伯)号で悲願の世界一周飛行を実現した。途中で日本の霞ヶ浦にも立ち寄っている。  1936年3月には硬式飛行船LZ129が初飛行を行った。その愛称が「ヒンデンブルグ号」である。  船体の骨組は、観覧車に似た15枚の隔壁も含め、ジュラルミン製。外皮は加工した綿布。デッキは二層に分かれ、上のAデッキにある客室にはアルミニウム製の二段ベッド、温水も出る洗面台、テーブルと椅子などが備え付けられ、階下のBデッキにはバー、喫煙室、化粧室などがあった。飛行中の船内は、鉛筆を立てても倒れないほど安定していたという。そのため離陸に気づかず、船がまだ地上にいると思っていた乗客もいたらしい。  2つのデッキにはどちらも、端から端まで届く細長い窓が設けられていた。乗客たちは狭い客室より、公共スペースでより多くの時間を過ごすと想定されていた。ヒンデンブルグ号に乗った経験のある旅行者によると、ヒンデンブルグ号は史上最も豪華な飛行船であり、誰一人として乗り物酔いする者はいなかったという。 ヒンデンブルグ号が北米航路に初出発したのは1936年5月6日。3日後にレークハーストに到着。7月には大西洋往復時間の新記録を樹立した。  この成功に自信を得たツェッペリン飛行船会社は、飛行船の数を増やし、大西洋横断便を増発した。  ドイツとアメリカ・レークハースト間の運賃は400米ドル(2008年の価値に換算すると約5,900米ドルに相当)。不況の時代においては、かなりの金額である。ヒンデンブルグ号の乗客たちは各業界の経営者など、富裕層が中心だった。

在りし日の姿のヒンデンブルグ号の姿を全面デザインした『ヒンデンブルグ 第三帝国の陰謀』特製の「書類が落ちないクリアファイル」が、特別鑑賞券購入者にプレゼントされることとなりました。ファイルを横向きにしても収容した書類が落ちない逸品です。 お求めは全国公開劇場窓口へお問い合わせください。数に限りがありますので、準備した数に達し次第プレゼントは終了となります。